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2020/8/6 西日本新聞
強度行動障害など、重い障害のある人の暮らしが見えにくいからこそ、家族が孤立してきた現実がある。「親亡き後」も何とか地域で安心して生活できるように-。親や支援者が連携し、「発信」を始めてい
7月25日、福岡県筑前町のコスモスプラザで開かれた強度行動障害の勉強会。重い自閉症がある次男の陽大(はると)君(8)ら4人の子育てをしている地元の永川暁子さん(38)がマイクを握った。「とにかく、子どもたちの可能性を知ってほしくて」。笑顔に涙を交え、初めての講演に臨んだ。
褒められ表情緩む
二つ上の小5の長男を除いて、陽大君と双子の長女、一つ下の次女も自閉症の診断を受けている。中でも陽大君は発語がなく、おむつは外れていない。感覚過敏もあってかんしゃくがひどく「寝ない、泣く、叫ぶ、飛ぶ…。毎日、誰か助けてという感じでした」。近所に気兼ねし、夜中に6~8時間ドライブしたことも。「正直、田んぼに投げ捨てようかとも考えた」
助けられたのは「しょっちゅう手伝いに来てくれた姉」の存在。彼女といると、子どもたちはなぜか落ち着いていた。姉はとにかく「わあ、すごいね、ようやったねえ」と褒めていた。
暁子さんはある夕飯時、「きょうから、みんなの一日で良かったところを最低1個褒めます」と宣言。「起こされないで、自分で起きてえらいね、ぐらいだったけど…。みんな目を輝かせて」。表情に乏しい陽大君も、ニコッと笑った。
しばらくして、今度は頑張ったことを文字に残す「いいねブック」も作成。姉が「ぐるぐる、書いてみようか」と陽大君に鉛筆を持たせたところ、突然、「あいうえお」を書き始めた。「姉もきゃーっと叫んで。私も信じられなかった」。重い知的障害がある、との判定も受けていたからだ。
姉に「お母さんに何か言いたいことを書いてみる?」と促され、陽大君がつづったのは「ありがとう」-。暁子さんは絶句し、涙が止まらなかった。「この子がどこまで分かっているか、自分が線を引いていた」と気づかされた。横で見ていた長男も号泣した。
支援者がまず理解
当時、陽大君は7歳。アルファベットまで書き、割り算まで暗算で解けた。「3歳のころ療育に通っていた福祉施設で、たまたま居合わせた中学生が算数を習っていたのを見ていて、覚えた」。筆談で、暁子さんにそう伝えたという。
今もかんしゃくは起こすものの、2時間は続いていたのが30分で収まる。「意思疎通の手段を手に入れ、周りが理解してくれたと分かった瞬間、息子の人生が変わったのかな」と思う。
可能性を信じる、ありのままを認めて褒める-。育児では当たり前とされることだが「毎日へとへとになって子どもと向き合うお母さんたちには、なかなか言えない」と暁子さん。「その代わり、福祉や教育に携わる支援者の人たちには、ぜひ認識しておいてほしい」と力を込めた。
子どもたちはこれから体調が変化しやすい思春期を迎える。いずれ親から自立できるのか。暁子さんは「心配ごとに埋もれそうで、先を考えないようにしている自分がいる」と打ち明ける。「障害を知ってもらい、協力してくれる人を一人でも多く見つけることが、母として死ぬまでにしてあげられる唯一のことかなと、いつも考えてます」
一緒に学ぶ機会を
勉強会を主催しているのは福岡市の相談支援事業所「サンクスシェア」。代表社員の田中聡さん(58)は強度行動障害の人向けのグループホーム(GH)で嘱託職員として働いた経験があり、「力量のある支援者側の人材不足を痛感した」ことをきっかけに4年前から始め、27回目となる。
会を通じて知り合った親たちの一番の不安はやはり、わが子の将来の暮らし。国の障害者施策も「施設から地域へ」の流れにあるものの、「GH建設計画に地元が反対し、頓挫するケース」を今もなお耳にする。
「親御さんの話にはいつも心を揺さぶられ、ただ支援しているだけでは見えていないものに気づかされる。親だけ、支援者だけではなく、一緒に学んでいく機会を重ね、理解の輪を広げていけたら」(田中さん)
勉強会から派生して、親たちが主導して「親亡き後」の課題に特化して悩みを打ち明け合うグループができるなど、裾野も広がりつつある。
最も支援が難しいとされる障害のある人と日々向き合いつつ、「外」に向かって今、できることを一歩ずつ-。当事者たちの「草の根」の活動、その込められた思いに、社会は応えていくべきだ。 (編集委員・三宅大介)
【ワードBOX】「親亡き後」問題
障害のある子どもを親が同居して支えている例が多いため、親が亡くなった後、障害者が直面する生活支援や財産管理など、暮らしに関わるさまざまな問題を指す。定期的な収入となる年金や信託、意思決定を支援する成年後見制度、日常生活の支えとなる障害福祉サービスなどの仕組みはあるものの、手続きは簡単ではなく、包括して相談を受け付ける窓口も十分ではない。