ニュース・お知らせ

ニュース・お知らせ

DATE
2015/05/27

<< 一覧へ戻る

申し立て前のサポート

地域包括支援センターより、後見の相談があり訪問した老々世帯。
お二人とも、厳しい精神状態にあり、不安事由を解決する必要性があるが、その症状は面接時点では表面化していなかった。
地域包括支援センター担当者より、連絡が朝一番であった。
前夜精神状態が悪化して、同居人がパニックになり方々に連絡したとのことだった。
必要な手続きを早く済ませて、対応して欲しいとの考えがあった。
求職者の面接、ゆうちょ銀行での被後見人の相続手続きなどを行ってから向かった。
地域包括支援センターより、朝一番で連絡が有った時点で訪問する旨を伝えて
「3時頃に伺います。」
と、言って居たのだが、数回電話があり、いつ来るのかと聞いて来た。
伺って、直接的な話をせずに人生歴を聞いた。
何と、私と共通の所在地にいたことがありすれ違いではあったが懐かしい思い出を私も得た。
昭和45年、私が上京して過ごした場所近くの「自由が丘」「二子玉川」「多摩川園」「大岡山」などの名前がが出て来たのだ。
そして、OLとして働いていた場所が「丸ノ内」という一流企業が本社を構える企業にご本人は居たのだ。
私もこの大阪に来る前にその場所に14年間通勤していた。
また、玄関先に配達されていた10キロのコメを運んで米びつに入れてあげた時に、その袋に印刷されていた「宮城県産米ひとめぼれ」を見て、
「自分は宮城県出身です。郷土のコメを購入して頂きありがとうございます。」
と、お礼を述べながら、人生の変遷を聞いた。
小1時間をほとんど費やして、幼少の頃を過ごした辛い戦争中の思い出から成人するまでを伺った。
記憶は正しく、朝鮮半島に渡って親が勤務していた朝鮮銀行を「鮮銀」と言って、戦争に負けて親がロシア軍の捕虜となり引き揚げた港は「下関港」だと言って居た。
私が一番の興味を示す、ひとにある歴史を聞く時間だった。
その話を聞きながら、症状やかかりつけ医などを聞きヒアリングは終わった。
困ったことやして欲しいことなど少しずつ聞き出して、将来のために必要な準備をすることを理解して、了解を頂いた。
つまり、戸籍謄本などの準備だ。
それが整い次第、再び訪問することにした。
その時には、もう少し進んだお話をすることになるのだが、ご本人がサポート内容をを希望するまで自分からはメニューをお伝えするだけ。