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ジェニー・ハッチ(Jenny Hatch) の物語
2014年の5月29日にアメリカのバージニア州アーリントン市で開かれた成年後見法関係者の第3回世界会議に、一人のダウン症の女性が壇上でスピーチを行い、参加者から万雷の拍手喝采を浴びました。アメリカ法曹協会(日本の日弁連にあたります)の紹介記事では「心が張り裂けるような」話であったと形容しています。この女性の話はなぜ注目されたのか。それは、いま世界で起きている成年後見をめぐるパラダイムシフトを劇的に示しているからです。世界が注目したこの女性の話は、なぜか日本ではほとんど紹介されていませんので、以下で少し詳しく説明ましょう。なお、この文章は、全日本手をつなぐ育成会連合会の機関紙「手をつなぐ」2014年11月号に掲載された原稿をブログ用に修正したものです。
2012年7月8日アメリカのバージニア州にあるニューポートニュースという我々日本人には聞き慣れない都市の裁判所に、ある成年後見申立が提起されました。申立人は母親のJulia Rossさんと義理の父であるRichard Rossさん。ジュリアさんが前の夫との間に生んだ当時29歳になるダウン症で知的障害のある娘さんJenny Hatchさんに成年後見人をつけてほしい、その成年後見人には自分たちを選任してほしいという申立です。
(左の女性がJenny です。後ろに映っているのは、務めているリサイクルショップの商品です)
アメリカの成年後見制度は州ごとに違っていて、よくわからないことが多いのですが、この申立では後見人の権限を指定して申し立てています。その内容は、ジェニーの生活全般、とくに誰と住むのか、どんな医療行為を受けるのか、誰がジェニーの世話をするのか、これを決める権限を後見人に与えることが内容になっています。日本の後見類型よりも大幅な権限を求めています。裁判所は、すぐさまジェニーに特別代理人(Guadian AD Litem)を指定し、この特別代理人と母親側の代理人のやりとりの結果、1ヶ月後の8月27日に仮の後見人が選任されます。日本でいうところの審判前の保全処分みたいなものですが、第三者のサービス提供事業者が選任されています。この仮の後見人は、年があけた2013年1月に辞任します。辞任の理由はよくわかりません。代わって仮の後見人に選任されたのが申立人の母親と父親です。ジェニーの生活のすべてのことを決定する権限が与えられたのです。
ジェニーは2008年4月ごろから市内のリサイクルショップでアルバイトをしていて、近くの家族ぐるみの友人と暮らしていたのですが、自転車事故を起こして病院に入院しました。同じ頃、友人もアパートを失ったため、退院後にどこにも行くところがなくなって、この成年後見申立が提起されるころは、ジェニーはそのリサイクルショップの経営者の自宅で寝泊まりしていました。Jennyの実の父親は、ノースカロライナに再婚して住んでいてJennyと暮らせないとケースワーカーに答えたようですし、母親のジュリアと義理の父であるリチャードはJennyとの関係がうまくないので一緒に暮らせないと答えたようです。Jennyを受け入れた経営者は、Kelly MorrisさんとJim Talbertさんという二人のカップルで、Jimには脳性麻痺のある15歳の娘さんがいて、4人で暮らしていたわけです。母ジュリアは、この事態を非常に心配して、グループホームの調整を行い、いったんジェニーはグループホームに入るのですが、そこでの生活が嫌でまた経営者カップルの自宅に逃げ帰ります。成年後見は、その二日後に申し立てられています。ジェニーはグループホームのどこが嫌だったのか。報道によれば、パソコン使用も携帯電話の使用も禁止され、子供扱いされたことが嫌だったとあります。
(ちょっと関係がややこしいので、図にまとめておきますね)
この裁判は、全米の注目をあびました。ワシントン・ポストをはじめ有名新聞が報道し、CBSテレビなども全米に報道しました。ワシントンにいる人権派弁護士が派遣され特別代理人と一緒に弁護活動を行います。まず行ったのは、母親側が行ったジェニーの面会制限の撤回です。仮の後見人に選任されてからジェニーはグループホームを転々とさせられていたのですが、母親側が仮の後見人を交代した後は、母親側の承認がないとジェニーに関係者が会えなくなっていたのです。承認を受けるためには、裁判の話をしてはいけないなど、厳しい制限がついていました。これでは弁護活動ができないわけですから、ジェニーの代理人はこの撤回を裁判所に命じてもらい、裁判所に専門家の鑑定意見をはじめさまざまなソーシャルレポートを提出しました。
法廷の審理は非公開ですが、ジェニーは明確に「私には後見人はいらない、私のことは私が決める」と述べたそうです。あまりにしつこくジェニーが発言するため裁判官が、いったんジェニーを法廷から排除する命令をだしたこともあるようです。
2013年8月2日、裁判所は決定をくだしました。概要次のような内容です。
1)ジェニーを後見に付す
2)後見人にはリサイクルショップの経営者を選任する。
3)後見の期間は1年で終了する。
4)後見人の権限は限定的なものとする。
5)後見人は、決定にあたってまず意思決定支援の手法をとらなければならない。
6)後見人は、ジェニーの意思に反した決定ができない。
後見人がついたわけですから、母親側の申立は形式的には受け入れらたわけですが実質的には完敗です。ジェニーは後見人となった経営者カップルと正式に暮らすことができるようになり、後見期間がすぎたいまもそこで暮らしています。
読者のみなさんはこの事件をどうご覧になりますか。障害者の親御さんは子どものことが心配です。管理の行き届いた施設で安心・安全な生活を送ってほしい。母ジュリアは自分とは一緒に生活できないけど、誰だかわからないリサイクルショップの経営者と一緒に住むのは許せない、そう思ったのでしょう。グループホームの方がジェニーにとってより良い生活を送れる場所である、そう信じていると思います。それが子供のための母親の役割であり権利擁護である、そう思っていたかもしれません。日本で似たようなご相談を母親から受けたことがあり、私もそのように考えて母親の代理活動をしたことがあります。
しかし、ジュリアは可哀想に、子供の意思を踏みにじる人権侵害者のレッテルを全米で貼られてしまっています。母の思いは、母の思いであって、子供は子供で自分の思いがある。子供の思いを尊重することが後見人の役割であり、そうした役割を担える人物は経営者側だ、そう裁判所が判断したわけです。しかも、非常に変わった後見人の選任形態です。後見人には実質的にはなにも代行決定をする権限が与えられておらず、意思決定支援をすることが求められているのです。意思決定支援とはなにか、代行決定とどう違うのか。これは別に書くことにしましょう。
参考サイト