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DATE
2014/11/20

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後見人の限界をどう克服するか

後見人の限界がある。

先日、東京にて市民後見の組織である「後見の杜」全国集いの席上、ある障碍者から提起された課題。

直接、障害のある方からの相談がなされて、それぞれの立場から意見やアドバイスがなされた。

色々な意見が出る中で、それを聞きながら後見人としての限界を改めて認識した。

それは、我々は通常の多くの方が範疇にある一定のレベルの方にだけしか対応できないということだ。

異例の事例には、どう対応していいのか戸惑ってしまうのが、私の印象だ。

認知症ではないが、ある一時期人格破壊に類するものがあり、通常の会話は正常であるのにも関わらず、後見人を付けることを前提に話をする意見も出た。

後見人を申立するには、難しい。

また、たとえ、後見人が付いたとしても24時間対応をする訳でもなく、或はその性格を変えられる能力を有して居る訳でもなく、問題解決には程遠い。

集団生活のサポート対応する者の能力問うても、超能力者が集まって居る訳でもなく日常の生活支援のための教育しか受けていない者が特殊な性格者に十分な対応を要求する方が無理がある。

問題は、いかに相談者である障碍者の方が普通の日常生活を送れるかだという事だが、それは、断ち切って失うものと得るものを加除して、自分がどちらを選択するかに掛かっていると思う。

その選択した方向をしっかり示せば、世の中の制度に道は開ける。

中途半端に感情としがらみと縁などを混ぜ込むと、個人的な問題となって捉えられてしまう。

私は仙台市の実家に於いては、親子7人家族だった。私は次男の位置にいた。

何とか、完全に崩れている家族のきずなを大事にしてすべてを守ろうとした時代があった。

非力が自分が、自分の能力を自覚して、親子兄弟の縁を一旦切った。

自分の道を自分の力で自分だけでも、と思ってまい進した。

結果が今である。

親、兄弟は今が一番幸せを感じていると思う。

親も常々私に手紙で

「いまが一番幸せです。」

と謳って居る。