ニュース・お知らせ
新たに建設されるコミュニティ施設の市民による意見交換会が、夜7時から2時間以上に亘って行われた。
まず、会場に行って驚いた。
若者が全く居ない。60歳から70歳代の方が多くを占めているのが見て取れた。
これまでの公民館を、コミュニティ施設に換えて廃校となる中学校に建設をするのだ。
私は、この市が国よりも社会問題にあえいでいて一時は夕張の次のと言われた財政状況の厳しさもある中で、一刻も早く少子高齢化、人口の減少、生活保護費の増加、勤労意欲の低下、貧困問題、年少者の学力低下、犯罪の横行、数えきれない社会問題を解決するためのスペースを設けて欲しくて、その意見を述べるために参画した。
ところが、公民館感覚が抜けきれない人たちで溢れ返っている。
あくまでも、コミニュティであることを共通認識の上に立って議論や意見を述べなければならない。
それが、参加者は何で応募したんだと言いたいほど、公の団体の理事長とか会長とか。
市の各種委員会の委員に選任されて、いつも来る70歳代の改革する意欲もない名誉だけあればいいような人が大勢いて。
意見と言えば、自分たちの将棋や碁をする場所の確保、詩吟などの趣味の会の活動する部屋の確保を言う。
気付いたのは、「コミュニティ」という意味を理解していないのだ。
若者が居ない、今この遅い夜の時間帯に働いている人も居る、文化教室の確保に熱を入れている余裕がない生活に追われている人も居る、認知症の方や孤立した方もたくさんいる。
その方たちの代弁者でもあるはずの参加した市民の貧困な意見にあきれ果てて、市の30年先50年先を見据えてと言う言葉がむなしい。