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DATE
2014/04/07

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主治医と精神科医の判断の相違に対して

先日、後見申し立てご依頼を受けたご本人と面談をした。

日本人の平均寿命をはるかに超えるが、矍鑠としていて認知症とは思えない。

前提を全く感じさせないので戸惑いながら、話を聞く。

明治生まれではないが、明治の日本男児の精神を受け継いでいるような大正、昭和、平成を生き抜いてきた方。

戦前の教育や男子たるものの精神は、三つ子の魂百までもというように、現代の男女同権、権利養護、個人の尊厳とは少し掛け離れた感覚が随所に見え隠れした。

その考えや思いを否定することは出来ない。

また、行政に長く携わっていた経験上、自分に対する行政の対処に疑念を抱いている。

傾聴の精神を遺憾なく発揮して、一見肯定をしているようにしながら、やんわりと思いを聞く。

話ししながら、頭の中でこの方の一番安心して信頼を寄せてくれる返事をどのようしたらいいのか、言葉を選ぶ余裕があった。

やはり、後見人となるとか財産を預かるとかになると信頼が全てだ。

その短い時間のあいだに、一生で多くの厚誼を結んだであろう数多の人々よりも信頼を得られないとインテークにならない。

一期一会とはそのことだ。

この一度のそれも短時間での面談が、この方とお話をする最初で最後かもしれないとの思いで接する。

そのためには、多くの知識が必要だ。

その方の話の中に飛び込んでいくだけの知識がないと話は続かないし、心を許す機会が得られない。

この方との話では、自分の特殊な職業としての呼称や地位。

親族の勤務している会社の事業内容や、合併などで名所変更した社名、親族の住んでいる市の場所など。

相手が、少し忘れている内容でも付け加えることによって思い出して、話は進む。

主治医は後見相当とのことだった。

私は、自分が受けた印象に従って、申し立ての際家庭裁判所に提出する精神鑑定の書類は主治医ではなく、精神専門の医師にお願いした。

私が想定し思ったような、結論となった。

ホッとした。

周辺の人々が不安に思っている、財産管理と事務委任契約になると思う。