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DATE
2013/10/25

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被後見人への監督責任を後見人はどこまで負うのか(4/4結論)

JR東海は、事故の直接的な責任者を追及していく旧国鉄時代からの「責任事故」という考え方に縛られているようだ。線路上に本来いないはずの人がいたために事故が起きた。その人は認知症で責任を問えない。ならば見守りを怠った家族の責任だ、と人的ミスを次々に追及する論理だ。

人的ミスは根絶できない。だから人的ミスを追及していくだけでは事故はなくならない。認知症の高齢者が急増しているという背景にこそ目を向けるべきだ。認知症の高齢者の事故をどう防ぐかは、安全性向上を責務とする鉄道各社共通の課題だ。事故原因を人的ミスだけに帰し、責任者を追及するだけでは社会的責任を果たしたことにならない。

◇家族に厳密な見守り義務ない--早稲田大教授・田山輝明さん

この判決の影響は極めて深刻だ。判決によると、認知症の親を積極的に介護した者は重い責任を負うことになる。これでは誰も介護できない。

まず第一に、判決は、死亡した認知症の男性の子どものうち長男だけを「法定監督義務者や代理監督者に準ずる者」として、親を監督する義務を負わせた。「法定監督義務者」とは例えば未成年の子どもに対する親権者だ。また「代理監督者」は子どもを預かった保育園の保育士さんに相当する。

しかし、高齢の親に対し、非常に厳密な見守り義務や介護の義務を家族に負わせる法律は日本にはない。従って今回のケースでは、認知症男性の法定監督義務者は存在せず、当然、その代理もいないと判断するのが妥当だ。確かに、兄弟姉妹や直系血族は互いに扶養義務を負ってはいるが、可能な範囲で経済的な支援をすればいいことになっている。認知症の父親を24時間、厳密に監督して、その行動に全責任を負う義務も「準じた義務」もなく、判決の論理は法律上、無理がある。

第二に、判決は認知症の男性が財産の管理能力を失っていたことから「本来は成年後見の手続きが取られてしかるべきであった」と指摘した。だが成年後見人になることは義務ではない。成年後見人にならない選択も許されると理解すべきだ。

判決に従えば、成年後見人を引き受けた場合、被後見人に対して厳密な見守り義務を負うことになる。認知症の高齢者は今後急増が予想され、精神障害者や多重債務者の一部にも成年後見人の制度は必要なのに、このような判決がまかり通れば、成年後見人のなり手がいなくなり、制度の存続すら危ぶまれる。

成年後見人には被後見人の財産管理と適切な見守りをお願いすべきだ。被後見人により第三者が被害に遭った場合のために、保険会社が徘徊事故についての損害保険を開発したり、限定的な公的補償制度も検討すべきだろう。